ムンバイ同時多発テロに遭遇した話 前編

ムンバイ同時多発テロに遭遇した話 前編

こんにちは、ボビーです。

ムンバイ同時多発テロは2008年11月26日に発生しています。

いまからちょうど10年前ですね。

そう、話はさかのぼること10年前のムンバイです。

11月25日私はインドのムンバイにいました。

その時わたしは、嫁さんと一緒に世界一周のハネムーン旅行中でした。

その第1カ国目がインドでした。

9月初旬に日本からインドのデリーに降り立ちました。

そこから、インドを流れ流れて、ゴアにたどり着いたのは、11月初旬の頃でした。

世界的なバックパッカーのパーティーシティー、ゴア。

そこで私たちは約2週間ほど、人生の中でも最もぶっ飛んだ時間を過ごしました。

そこから、デリーにもどるための中継点として、ゴアからムンバイにバスで移動してきたのです。

私はそれほどムンバイに興味を持っていたわけではないので、

ムンバイには1泊だけして、次の日の朝にはデリー行きの電車に乗る予定でした。

そのときムンバイは忙しいシーズンだったのか、なかなかムンバイの中心地で宿が見つかりませんでした。

そのころはまだネットでの宿の予約などは皆無で、だいたい電話で予約するか、

客引きについて宿を見つけることが一般的でした。

分厚いロンリープラネットのインド版で、ムンバイの中心地の宿に電話して予約をしようとしますが、

どこも満室と言って断られます。ようやく見つけたビジネスホテルはムンバイの北に位置する宿でした。

チェックインをすませて、ムンバイで唯一行ってみたいと思っていた場所があったので、行きました。

その場所とは、タージマハルホテルです。

Overview_z1TEE4.jpg

以下、ホテルの説明です。

インドの近代工業の父でタタ・グループの創始者でもあるジャムセットジ・タタは

ムンバイ(旧ボンベイ)の当時最大のホテルだったワトソンズ・ホテルに入ろうとして白人専用であることを理由に宿泊を断られ、

これに怒ってもっと豪華なホテルをインド人の手で築こうとしたとされる。

インド人建築家により西洋の新古典主義建築とインドの伝統の様式を混合した姿で設計され、建設には25万ポンドを投じた。

1903年12月16日にタージマハル・ホテルは開業し、

以来ムンバイ第一のホテルとなりインドを訪問する世界の政治家・王侯貴族・有名人らがこのホテルの客となった。

私の中ではこのタージマハルホテルはインドで一番のホテルだと思っていました。

もちろん1泊で何百ドルもするホテルです、泊まれるわけはありません。

でも、ここで紅茶の一杯でも飲もうと思い行きました。

あと、私の高級ホテルでやってみるシリーズの中での定番で、

タージマハルホテルでウンコ💩する

ということを実行するために、電車を乗り継ぎようやくタージマハルホテルに到着したのです。

つづく。

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